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塾という存在

塾が持つ機能とは何でしょうか?
まず、学校の授業についていけない、いわゆる「イレギュラーボトム(落ちこぼれ)」のために塾はあります。同時に学校の授業では物足りない、いわゆる「イレギュラートップ(吹きこぼれ)」のためにも塾はあるといえます。
学校の中で塾的な指導を行うとしたら、よほど細かく習熟度別のクラス編成をしなければなりません。生徒一人ひとりが自分の学習スタイルに合う塾を選べることにも大きな意味があります。

しかし、学校が一律に塾的な指導を提供するとしたら、生徒は自分に合った指導を選べなくなってしまいます。
塾には、塾の先生が、学校の先生とは違う方法で教えてくれるという魅力もあります。また、数学の同じ問題でも、学校の先生と塾の先生では解き方が違ったりして、そこに子どもたちは「数学観」を感じたり、「数学って面白い」と思えたりするきっかけになります。
しかし、もし平常授業を受けもつ教員が塾的な指導も行うのだとすれば、この機能は果たされなくなってしまいます。

また、塾に行けば学校の友達とは違う友達と机を並べられることにも、大きな意味、があります。
他校の校則、校風、授業内容、行事などの話を聞くことができ、自分の学校にはいないタイプの秀才やユニークな友達にめぐり会えるかもしれません。これらがすべて、学校の中では得られない刺激を得ることにつながのです。
さらに、塾という組織に所属することで、学校以外の自分の居場所、が増えるという意味もあります。
これらの機能は、塾的な指導を提供する学校、つまり「学校内の塾」では果たすことができないのです。
学校で果たせない学びや体験をすることができる場所として、塾という存在はいまや必要不可欠なものなのです。

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