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受験勉強も一種のゲーム?

最終的な最難関国立大学を目指すためには、各種データを持ち合わせ、それに向かっての効率よい受験対策をしてくれるのは塾しかないと生徒側もわかっていて、有効に使っているだけではないかとさえ思えてきます。ひと頃の、ねじり鉢巻きで脇目も振らず、親に尻を叩かれながらがむしゃらに受験勉強を強いられているという子供のイメージは昔の話で、今はいろいろなデータを駆使し、競争に勝ち抜くという管理手法で結果を出す、と割り切っているような気もします。スポーツの世界でさえ、昨今は「根性論」から「データ管理手法」を使って選手の良さを上手に引き出し結果を出す世の中です。受験勉強も一種のゲーム、と言ったら頑張っている受験生に対して失礼かもしれませんが、ただ「がむしゃら」にやっても結果はついてこないという事を受験生たちが一番よくわかっているのではないでしょうか。最終的には受験でライバルとなる受験生同士でも、塾では目的を同じくした仲間であり同志であると自覚しているのではないかとさえ思えてきます。だからこそ、学歴より塾歴であり、学友より塾友の方が大切(同じ目的に向かった同志として)と思っているのかどうかは当の本人たち聞くしかなさそうです。もしかしたら、塾友も大事、学友も大事という柔軟な考えをもっているのかもしれません。

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